土曜日、お隣の市、海老名ピアザの集まりに参加しました。
4月に開設した海老名月曜ピアザは一周年。
それを記念して、一周年をお祝いするロールプレイを多言語で作ろうと
コーディネーターのゆかりんとメンバーのお母さんたちが話し合っていました。
みんなで一周年記念パーティーをしたという設定で
お料理がたくさん出ているテーブルを見て
「いい香りだからお腹がすいちゃうわ。おいしそう」
っていうストーリーのセリフを韓国語で言おう!
とか、
「皆さんにお会いできて本当にうれしいです」
ってこのストーリーのセリフをロシア語で言わな?!
って、みんなで盛り上がっていました。
そして各国の言語のCDをみんなで聞いては
「ここはこう言ってるのかな」
この言葉のどれが香りなんだろうね」
と聞きあいながら、見つけあいながら
この言葉、他のストーリーでも出てくるよ!
と他のストーリーを聞いて
「あった、あった。
じゃあ、こういう時はこういうんだね~」
と嬉しそうに話し合っていて。
その風景を見て、本当にすごいなあと。
誰も習ったことのない言葉だからこそ
みんながスタートラインに一緒に立って
ワクワクしながらその言葉に向かっていける。
言葉だけでなく、音だけでなく、
その背景にある場面、人物、出来事、感情までも
まるで体験を共有するように一緒に感じて共有しあい
そこから、こういう時、こういうんだね~。
ってロシア語でもスペイン語でもフランス語でも
ネイティブの音のまま、
ネイティブの抑揚、リズム、メロディーのまま
口移しのように自然に、
その場面ごとその言葉を受け止めて使っていく。
改めてセルラスの多言語習得活動の魅力を思いました。
英語だけだったら、
良く知っている人とあまり知らない人がいて
どうしても平らに向かえなくて
教える人と教えられる人のようになりやすい。
知らないことは悪いことでもなんでもなくて
ワクワクするような冒険の始まりなのに。
そして言葉とともに、体験があれば
場面があれば、それを受け取る人がいれば
その言葉は日本語に訳さなくても、教える人がいなくても
辞書が無くても文法を知らなくても
自然にわかるし、使えるようになる。
それは私たちが母語を、辞書も先生もなく
体験しながら、意味を理解し、
瞬時に使えるようになっている、
この母語習得のプロセスと同じなんです。
英語だけでなく多言語って
人を平らにするんだなあ。
大人も子どもも、多言語の前ではみんな同じ。
母語もそうですもんね。
伝えたい思いと一緒にあるだけですね。
多言語って幸せだなと
みんなを見ていてしみじみ思いました。