私はずっと、感情をオープンに出すことを良いところだと思っていました。
誰かが何か言ったら、即座にリアクションする。
笑ったり、驚いたり、嘆いたり。
共感して、それをすぐ表現する。
聞かれたら即答するし、知ってることならいくらでも説明する。
それが良いことだと思っていたし、
良い悪い以前に、無意識に反射的にそうしていました。
すぐ反応しないで黙って話を聞くことはできなかったし、
もし相手がそうだったら、とても物足りなく感じました。
当意即妙が一番大事で、それでこそ相手も喜んでくれると思っていました。
それが実は、恐れからの無意識の反応だったなんて、
全く気づいていませんでした。
私はバカだと思われたくなかったんです。
頭が悪いと思われることを、とても恐れていたのです。
小学校に入学した時、2年生の男子数人に囲まれました。
それは年子の兄の同級生たちでした。
「お前、〇〇の妹か?〇〇はゴキブリってあだ名だそ。
お前はゴキブリの妹か!あっ、触った。ゴキブリの菌がつく〜」
囲みから逃れようとする私を、叩いたり、押したり。
「〇〇の妹!」と呼ばれることは、中学までの9年間、ずっと続きました。
高校ではじめて兄と学校が別れた時、
感じた開放感は忘れられません。
年子の兄は優しい人でした。
けれど成績も振るわず、運動も苦手でした。
私はその兄のことを、いつか恥ずかしいと思うようになり、
自分は兄とは違うのだと、頑張るようになりました。
勉強ができないと、
聞かれたことにすぐ答えられないと、
バカにされていじめられる。
頭が悪いと思われたらいじめられる。
いつのまにか、そう思い込んでしまったのだと思います。
そしてバカにされまいと、頭が良く思われたいと、
頑張ったのだと思います。
そのうちに頑張っていた理由は、すっかり忘れてしまいました。
私は初対面の人ともすぐに親しく話せるし、仲良くなれる。
笑顔を褒められるし、私の表情いっぱいのリアクションを面白がる人も多い。
だからそれは私の長所だと、ずっと思ってきました。
けれどそれは
「バカだと思われたくない」
という恐怖から始まったことだったのです。
恐怖は緊張を産みます。
相手の話を、常に緊張して聞く。
嫌われないように、頭が良いと思われるように。
相手に喜ばれるリアクションをしようと、聴いているのです。
それって、全然聴いていないですよね。
相手の話を。
自分のリアクションを準備することにばかり、気持ちが行っているのですから。
全然聴けていなかった。
緊張して、頭を良く見せようとばかり考えていた。
相手の話に意識を向けないで、自分を守ることに、エネルギーを使っていたのです。
そのことに気がつかせてくれたのは、
先週木曜日に開かれた、やぶちゃんのお話会に参加した時でした。