つぶやき

自分が全て選んだことが起きている

今までの私と今の私が一番変わったのは、受け身を卒業したことだと思う。
何に受け身かというと、自分の運命です。
出来事、環境、人間関係、生まれた家族、仕事、パートナーetc.

自分が環境の犠牲者だと思っていたり、
人間関係の被害者だと思ったり
人に良く思われたいとか
人から悪く思われたくないとかで
行動するのが、受け身です。

わりあい長い間受け身な人生で
厳しい現実があるとか
人から責められるとか
夫から自由を制限されるとか
(十分自由だろっていう突っ込みOKです!)
母に受け入れてもらえなかったとか
思っていました。
というか去年まで結構思ってました!(笑)

それがあるとき、ふと思ったんです。
ああ、私あの環境選んで生まれたなって。
私は化学物質過敏症(精神的?)でして
現在の暮らしは、
いただく野菜は夫の無農薬のものだし
家も天然素材で建ててもらったし
合成洗剤とか使わないし
薬もなるべく飲みません。
風邪では病院にもかかりません。

そんな私が生まれたのは
小学校2年まで水道が通っていなくて
飲み水は近所の湧き水から汲んできていたし
風呂の水は家の下の川から汲んできて薪を焚いてわかしていました。
山奥の谷あいの村で、家で食べる米も野菜も
母が作って自給していました。
自動車が通ると、排気ガスの匂いがつらくて
息を止めて歩くくらい苦手でしたし
(そのくらい車が少ない環境)
夏は川で泳いでいましたから
カルキ消毒された水道水には小学校2年生まで
飲み水も風呂もプールも縁がありませんでした。

母親は6人の子供を、
自宅に助産師さん(当時産婆さんと言っていましたが)
が来てくれての自宅出産でしたし
はしかも水ぼうそうもおたふく風邪も
みんな自宅で寝て治して、病院には行きませんでした。
母が病院に行かない人だったのです。

母は遅れた考えだと子どものころは思っていましたが
周回遅れでトップに立ったみたいな
今思うと、化学物質フリーな生育環境でした。
ありがたかったなと思います。

そう、ありがたかったなあと
今になるとすごく感謝だなと思ったのです。
去年ふと、
あれ、もしかして私、選んだ?
って思いました。
生まれてくる家も環境も選べない。
親は選べないっていうけど
私が今、選んでしている暮らしと
生育環境が酷似しているって
もしかして、生まれる前に選んだんじゃ?!
そう思ったんです。

母は望まないのに6人も子どもを産み育て
望んだのに、教育は小学校までしか受けさせてもらえず
私は望んだけれど子どもは授からず
親には望まれなかったけれど自分で奨学金を得て大学まで進学しました。

そして今、時間的にも経済的にも自由で
会社勤めも、子育ても、親の介護もしていません。

世の中の人がみんなしていることを
自分がしていないことを、
一人前じゃないと
自分だけ恵まれすぎていると
罪悪感を持っていたこともあるけれど
運命を嘆いたこともあったけれど

もしかしたら、それ全部自分で計画したのでは?
深いところで、決めてきた結果なのではないか。
そんな風に思ったんです。昨年。

あれ?
今まで子供がいないことを悩んだり
僻地の貧しい家で育ったことを恥じたり
すごく変わった母だということを隠そうとしたりしてきたけど
本当は、全部自分で決めてきたことなんじゃないか。

おかげで今すごく自由に、
自分がしたいことをできる環境
できるだけ化学物質フリーの生活スタイルを
選ぶことができています。

不自由な環境を与えられたと思っていたのに
今自由意思で選んでいる環境が、まさに育った環境でした。

全て自分が選んでいるとしたら
その結果起きることは全部自分の責任。
そう考えるようになったら
一見不運な出来事も、全部引き受けると決めた途端に
思いがけず助けがあったり、ありがたい展開になることが増えました。

例えば昨年3月末に、海老名市文化会館のお部屋を借りて
生まれて初めて、セルラスの多言語習得のお話会を開催しました。
メンバーもお友達を誘ってくれて、3人の方が参加してくれることになりました。
10時からお話会を始めようとした直前
厚木と海老名からその日リーダーズトレーニングキャンプに出発したメンバーが電車に乗り遅れたという連絡が入りました。
中学生以上が春休みに2泊3日で参加するリーダーズトレーニングキャンプは青春18きっぷで各駅停車に乗って浜松の会場まで行くことからキャンプが始まっています。
中高生たちは準備会の中で、地域ごとに、新宿から、横浜から、そして小田原から、同じ電車に乗り込んで浜松に向かうために乗車する時間も調べて決めていました。
その電車に乗り遅れたのです。
混んでいる電車に乗り慣れないため、列の最後尾についていてドアが閉まるまでに乗り込めずホームに取り残されたのでした。

キャンプ地からの電話で、今から小田原に行って取り残されたメンバーを連れてきてもらえないか、と電話で連絡がありました。

「すぐに参ります」と答えました。
参加してくださる方には申し訳ないけれど、お話会は中止して小田原に向かうと決めました。

すると、また電話が鳴って、
「乗り遅れた子どもたちは次の快速アクティーに既に乗っている。
引率のコーディネーターが、一人熱海でおりてその子たちと合流すべく待ってくれている」
ということで、小田原にはいかなくてよいことになったのでした。
引率もギリギリの人数なので、本当はこのように対応してもらえる条件にはなっていなかったのです。
また子どもたちも、小田原駅のホームで途方に暮れていると思っていたら、
次の電車に既に乗って、自分で引率者に携帯で連絡を入れていたのでした。

結果的にお話会を開催することができ、メンバーも全員キャンプに合流できたのです。

出来事が起きた時、100パーセント自分事だと受け止め、できる最善を尽くそうとする。
それが自分の運命に自分で責任を持つことだと思っています。

そう考えた時、不思議と天の采配が働くような気がします。
何が起きても、人のせいでも、環境のせいでもなく
100パーセント自分のこととして受け止め自分のできる最善を尽くす。

天の采配に間違いはないのだと思います。
本当は全て、自分が深いところで決めていることだから。
そう思うようになりました。

 

 

 

ABOUT ME
shigechan1783@gmail.com
NPO多言語広場CELULASのコーディネーターをしています。 セルラスではたくさんの言語(ことば)に同時に触れながら、世界中の誰とでもコミュニケーションできる力を育てています。 ことばはスキルでもツールでもなく、人と向き合い思いを伝え分かり合うために、人類が手に入れた尊い宝物です。 大人から子どもまで、多様な人たちが一緒に、ことばと人を育てあう場は、心とことばが同時に育つ場です。