セルラスで多言語の活動をしていてよかったと思うのは、
今まで全く無意識だった母語の日本語について
そのすごさを意識するようになったことです。
初めてすごさを感じたのは、イギリスに行って半年後
2009年1月に日本に一時帰国した時でした。
渡英から6か月後、義母が1月5日に亡くなり
通夜と葬儀に参列するために、日本に一時帰国しました。
成田空港から京成スカイライナーに乗り
都内の自宅に帰る途中
英語だけの世界から急に母語の日本語の世界になって
日本語のわかり方の、あまりのすごさにびっくりしたのです。
何がすごいって、同時にいくつもの日本語が
瞬時に全て理解できることが、本当に驚きでした。
目に映る車内吊りの文字
車内に流れるアナウンス
隣の人が談笑している会話
止まった駅で流れる音楽の歌
それらが同時に聞こえ、見えるのですが
全て、同時に、瞬時に、考えることなく理解できるのです。
イギリスに行くまでは、それはあまりに当たり前で
自分の母語(日本語)運用能力なんて考えたこともありませんでした。
でも英語だけの世界で苦労してきた私には
母語のわかり方が無意識であり瞬時であり、
大容量であることが驚異でした。
イギリスでホストファミリーに話しかけたいとき
もし彼らがテレビを観ていたら
「今、話しかけてもいいですか?」
と聞いてから声をかけました。
「いいよ」と答えてくれるのですが
目はテレビの画面を半分観ていたりすると
話しかけていいものかどうか迷ったものでした。
そんな時
「テレビがついていても、話は聞いているから大丈夫だよ」
と言われると、ネイティブってすごいなと思ったものです。
自分だったら相手の目を見て、一生懸命聞いても
完全にはわからないのに、相手は
テレビと私と同時に聞いてわかるのです。
でも日本に返ってきたら、自分も母語では同じことができて
本当にビックリしました。
何で母語は瞬時に、何も考えずに、言っていることの意味が分かるのでしょう。
書いてあるものでも同じです。
見た途端に、その意味が分かるのはなぜなのでしょう。
それはその言葉の音声に体感が伴っているからだと思うのです。
痛い、寂しい、悔しい、きれい、美味しい。
黒い猫、赤いスポーツカー、水平線、カモメが舞い飛ぶ岬。
読んだ途端にその音が聞こえ、同時に色や感触まで自分の中にイメージが再現される。
再現されるイメージは、考えて出てくるものではなく
自動的に、瞬時に、自然に、体の中から湧いてくるのです。
ことばの音声を聞いたとき、その音声に伴う体験と
そこで味わった感情が一瞬で再現される。
これが母語を聞いた(見た)途端に起きていることではないでしょうか。
逆に言えば、体験と体感とその時の感情が一緒にある音声言語は
何も考えなくても一瞬でわかる、出てくることばになります。
耳線をして目をつぶって、心を閉じない限り、
体験と感情とともにあることばは耳にしたとたんにわかってしまうのです。
なぜなら、感情が再現されるから。
感情こそがそのことばの意味だからです。
セルラスが母語習得のプロセスに注目して
人のつながりの中で物語を楽しみながら多言語習得活動をしていることは
母語習得のプロセスにこそ、
人間誰もが持つ普遍的で驚異的な力を育てあっているのです。
人間って本当に素晴らしいなあと
長く活動してきて、しみじみ思うのです。
180度変わる言語観
人間が持つ本来の力に着目した
多言語活動について、わかりやすくお話します。
目から鱗のお話が聞けるセルラスオンライン講演会は
11月27日(金)10:00~12:00
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