つぶやき

多重人格だったのかな?!

いくつになっても、自分のことが全部完璧にわかった、なんてことはないようです。
次からつぎへと、知らなかった自分を発見する日々です。

もしかしたら若い時の方が
(若いっていつかな?昨日の私?1年前なんて、はるかに若い)
自分のことを、こんな人間だって決め付けて
それで安心していたのかもしれません。

安心とは違うかな。
思い込んで、それ以外を見ない。
それ以外を認めようとしなかったのだと思います。

自分にとって、心地よい自分。
見良い自分がいて
それは、親切だったり、優しかったり。
感受性豊かだったり、頼まれごとを嫌な顔せずに引き受けたり。
人に深く共感したり、いろんなことに感動したり、涙したりする。

そんなのがいいと、どこかで決めていたんだと思う。

そんな自分であろうと、いつか決めたとおりに
思い込んで、それ以外の自分を
ないことにしたのだと思います。

プライドが高くて、同じくらい劣等感が強くて
いつも人と自分を比較して
良いとか悪いとか
優れているとか劣っているとか
美しいとか、それほどでもないとか
若いとか、老けているとか
貧しいとか豊かとか
成功しているとか、いないとか
人気があるとか、寂しいとか

そんなことを気にして
そんなことばかり気にして
自分と向き合うことから
逃げ続けてきた長い年月。

しょっちゅう、失敗したり、思惑が外れるたびに
「どっか行っちゃいたい」
「消えちゃいたい」
そう心の口癖が出てきてしまう。

私の期待通りの私じゃないから、
そんな私は見たくないから
そんな私が自分だと認めたくないから
私に恥をかかせた私を

私は許せず、ないものとしようと
無意識に抑え込んできたのです。

蓋をして
重しをして
どんなに抑え込んでも
それはあるから
期待外れの
自分が好きじゃない
闇の自分が現れるたびに

「どっかいっちゃいたい」
「消えちゃいたい」

そうやって逃げて、逃げて。

どんなに自分にあることを認めなくても
拒否した自分が、目の前に、鏡のように現れて
それがパートナーだったり
家族だったり
同僚だったり
友人だったり
いろんな人の姿を借りて、私を見せてくれるのです。

いつも遠いところに行くのは
いつも知らない人に会いに行くのは
少しでも自分と離れたかったから。
近くの人は、自分をよく見せてくれるから。

私の中のいろんな人格。

理想的なのも、恥ずかしいのも
嬉しいのも、悲しいのも
可愛いのも、怖いのも
見つめていこう。

向き合って、あると認めていこう。
一つひとつ、自分を知っていこう。

これまで期待に副う自分だけの
いびつな自分像を
影も含めた、完全な自分に
統合していこう。

パートナーの目を見て話を聞こう。
自分の家の中の
捨てられない者たちと向き合っていこう。
心がざわつくときにこそ
黙って聞き続けよう。

少しずつ、すこしずつ
家と心の中を
片付けていこう。

ABOUT ME
shigechan1783@gmail.com
NPO多言語広場CELULASのコーディネーターをしています。 セルラスではたくさんの言語(ことば)に同時に触れながら、世界中の誰とでもコミュニケーションできる力を育てています。 ことばはスキルでもツールでもなく、人と向き合い思いを伝え分かり合うために、人類が手に入れた尊い宝物です。 大人から子どもまで、多様な人たちが一緒に、ことばと人を育てあう場は、心とことばが同時に育つ場です。