私はセルラスの活動を毎週地元で開催する、コーディネーターをしています。
メンバーはいろんな年代ですが、現在最年少は2歳です。
その最年少のタイちゃんはいつも会場のドアを開けて入ってくると
手にはおもちゃを持って、何か叫びながら一目散に、私のところに駆け寄ってきます。
いつも新しいおもちゃを見せに駆けてきてくれるのです。
タイちゃんのことばは毎週会うごとにはっきりしてきて、めきめき成長していますが
私は仮面ライダーのことを知らないので、タイちゃんが何をそんなにうれしそうに見せているのか、すぐにはわかりません。
それで駆けてきたたいちゃんと同じ背丈になるように膝をかがめておもちゃをの見せてもらいます。
タイちゃんが一生懸命伝えていることがわかりたい一心で、私も一生懸命聞きます。
これって多言語を学んでいる意味と同じだなと思います。
相手のことばがわかりたい。
相手につたわることばを話したい。
分かり合いたいから、相手のことばで話したいのです。
なぜ、英語じゃなくて多言語なの?
英語を話せることの方が大事じゃない?
良くそう質問されます。
私もずっとそう思っていました。
だからその質問の意図はよくわかります。
そして、
「まずは英語でしょう」
「英語から逃げてるんじゃない?」
という声さえ聞くことがあります。
どうして、英語だけでなく多言語?
答えは、英語だけ学んで話せるようになっても
決して起きないことが、
多言語の習得によって起きるからです。
それはどんな言葉を話す人に出会っても、
その人に興味を持って、
その人のことをわかりたいと
全身で話を聞けることです。
つまり人として、人と向き合うということ。
どんなに違う言葉や文化であっても
同じ人間として分かり合えると信じていること。
そんな前提というか基本姿勢が
多言語に同時に触れ、その伝える共通のイメージを
違う言葉からダイレクトに受け取るという
セルラスの多言語習得活動で培われるのです。
NPO多言語広場CELULASに入会した多くのメンバーが、自分の変化を感じています。
入会して変わったこととして異口同音に挙げるのが、
「町やテレビから外国語が聞こえてくると
前は何の興味もなく聞き流していたのに、
今は『わ~、何語だろう?!』と耳を傾けてしまう」
小学校4年生の女の子が韓国にホームステイするとき
ことばがまだ拙いことを心配するお母さんに
「お母さん、大丈夫だよ。
同じ人間なんだから、ちゃんと聞けばきっとわかるよ」
と言ったという話を聞いて、驚きましたが
まさに言葉は人と分かり合うため、伝えあうためにあることを
多言語の習得活動で体得しているのだなあと思いました。
ことばは、その音声、メロディー、リズムがどんなに違っても
人間同士の思いを伝えあうもの。
伝えたい思いは、同じなんだと思います。
タイちゃんが何か叫びながら駆け寄ってくるたびに
湧き上がる愛しさとともに、
なんて言ってるのかわかりたくて
思わず身をかがめ、目線を合わせて
そのお話を聞いてしまう私です。