NPO多言語広場CELULAS

多言語のおかげで英語の近さを実感しました💖

私がメンバーになっている渋谷ピアザでは、
毎晩夜9時から20分間、Zoomで集まって
シャドウイングをしています。

月曜日は英語でした。
日によって、中国語、スペイン語、韓国語、ロシア語、フランス語と変えながら
20分間集まったみんなでCDのシャドウイングをし、見つけた音を出し合います。

20分という時間の短さと、
出欠連絡なしで出られるときだけ出たらよい気楽さと
1人でやるよりみんなが見つけてくれる音やことばのおかげで
どんどんわかることが増えてつながる面白さで
シャドウイングがグ~ンと楽しくなりました。

1人で訓練のようにすると、どんなこともなかなか続きません。
みんなで一緒に間違いなんて気にせず、見つけた音を言い合うのは
本当に楽しいです。
主宰してくれる渋谷ピアザのコーディネーターに感謝しています。

色んなことばが少しずつ聞こえるところが増えていき
意味の分かるところがつながっていく楽しさ。

あまり馴染みのないロシア語や中国語も、やっているうちに
ああ、ここはこう言っているのか。
ここはこういう意味に違いないって。
見つけると嬉しくてみんなに言いたくなる。

この嬉しさがいつの間にかその言葉を
知っている言葉にしてくれるんだと思います。

で、月曜日は久しぶりに英語でした。

今全国で取り組んでいるストーリー
『キムチ作り』の英語。
韓国にホームステイした日本のお母さんが
ホストファミリーのオンマ(お母さん)から
キムチの作り方を教えてもらうお話。
オンマのお友達もたくさん来てくれて
キムチづくりの色々なことを話してくれるというストーリーです。

それを今年のサマーキャンプではフランス語ともう1言語は
1人で全部ワンマンロールプレイ出来るようになろうと目標になっています。
サマーキャンプに参加する子どもたち(小3から高校生)だけの目標でなく
私たち大人のピアザメンバーも一緒に課題に取り組みます。

フランス語と韓国語を中心にやっていたので
英語やロシア語はあまりCDも聞いていませんでした。

何年も前にやったことがありましたが、月曜は本当に久しぶりに
このストーリーの英語のCDをシャドイウングしました。

シャドウイングしてみて、びっくり。

なんて、よくわかるの!
そして、CDで言っている言葉のどれもこれも
自分が言っているみたいに、実感を伴って話せるのです。
CDとぴったりについてシャドイウングしているだけなのに
その場の情景が浮かんで、まるでその場で
自分が話しているような気持ちになりました。

一回目のシャドイウングが終わった時
余りの英語という言葉の親しさ、近さに驚いて

「英語すごい、すごすぎる。何でこんなにわかるの?!」

としばらくショックを受けていました。

フランス語と韓国語、スペイン語はシャドイウングしていたけど
英語は本当にしていなかったから、
まさかこんなに口をついて出るとは思わなかったのです。

私にとって英語は、1年近いイギリスでのホームステイという
生活体験を伴った言葉です。

ジュディとジェフと毎晩6時半からの夕食を囲んで
たくさん話を聞いてもらった懐かしい思い出の言葉です。

日本に帰ってきて11年が過ぎて、
普段ほとんど使うこともないのに
全然錆びつかないどころか
もっとわかるようになっている。
そんな気がしました。

多言語ってすごいなあ。
ロールプレイで体感を伴って言葉を話しているって
本当にすごいなあ。

体験があって、イメージが感情を伴って再生する言葉は
こんなにわかるし、聞いた途端にその言葉の感情になってしまう。
しぐさから話し方から、変わってしまうのです。

多言語活動をしていると
親しい言葉はより近くなり
知らない言葉は知っている言葉になる。
以前やってしばらく放っておいたとしても
身体(脳?)の中で、ことばは体感を伴って
育ち続けている。

そんなことを感じたシャドウイングでした。

※シャドウイングというのは、
聞こえた音をそのまま同時に口に出すことです。
影のようにくっついて口から出すので
シャドウイングと言います。
ロールプレイとともに、
セルラスの多言語習得活動で大切にしている活動です。

NPO多言語広場CELULASについては、こちらのホームページをご覧ください。

ABOUT ME
shigechan1783@gmail.com
NPO多言語広場CELULASのコーディネーターをしています。 セルラスではたくさんの言語(ことば)に同時に触れながら、世界中の誰とでもコミュニケーションできる力を育てています。 ことばはスキルでもツールでもなく、人と向き合い思いを伝え分かり合うために、人類が手に入れた尊い宝物です。 大人から子どもまで、多様な人たちが一緒に、ことばと人を育てあう場は、心とことばが同時に育つ場です。