NPO多言語広場CELULAS(セルラス)でコーディネーターをしています。
厚木市で親子のメンバーと一緒に、多言語習得活動を通して心とことばを育てる活動をしています。
今朝、起き抜けにこんなことをふと思いました。
人は、自分にとって意味のある音を選択して聴いている。
私たちの周りには、いろんな音があります。
その時はまだ朝早かったので、蝉の声と一緒に虫の音も聞こえていました。
自然に耳に入ってくるように感じますが、
蝉の声でも、アブラゼミとツクツクボウシの音の違いや
ツクツクボウシの声で、夏の終わりを感じたりします。
聞こえてくる音から、私は私の経験から意味を受け取っています。
音が聞こえた途端に、意味が自分の中で立ち上がる。
あまりにも自然なことで、普段は貴にも留めませんが
これは「わかる言葉」でも同じことが起きています。
聞いた途端に意味が分かると、それが韓国語でも中国語でも
意味を考えるというプロセスがなく、体に何らかの反応が起きます。
以前イギリスのホストファミリーが我が家に滞在していた時
厚木ピアザ(厚木のセルラスのグループ)の子どもたちが家に来て
ジュディと一緒に遊んだことがありました。
子どもたちは、ジュディと一緒に和室でトランプのゲームをしていました。
ジュディがトランプゲームの説明をして、それを聞いた小学生6,7人が
一緒にワイワイゲームをして、勝った、負けたと盛り上がっていました。
ジュディは日本語を話しません。英語だけで説明し、ゲーム中も英語で話していました。
どうしてジュディの言葉がわかるんだろう?
どうして、あんなに楽しく遊べるんだろう?
後から子どもたちに聞きました。
「ジュディ日本語話さないのに、どうして遊んでいたの?」
そしたら子どもたちが異口同音にこう言ったのです。
「え~、ジュディさん日本語話してたよ。なあ、話してたよな~」
「うん、日本語話してたよね」
本当にびっくりしました。
子どもたちはジュディが言う英語の音だけを聞いているのではありません。
一緒に見せて、並べて、勝ち負けの説明をしているジュディの
身体の動き、表情、声のトーン、そして同時に見えるトランプのカード。
それらのもの全部から、ジュディが言っている意味を聴いているのです。
子どもたちは「意味」を聴いている。
言われていることから浮かぶイメージで理解しているんだと気が付いた瞬間でした。
例えば異国で雑踏の中に、日本語の声を聴いたら
どんなざわめきよりも強く、その言葉を私の耳は捉えるでしょう。
聞いた途端に意味が分かり、映像やイメージ、体感につながる音。
それがわかる(話せる)言葉なのです。
良く「聴き取れない」という悩みを聞きます。日本語以外の言葉を何を言っているのか聴き取れない。
早すぎるから、リスニング力が、耳が良くないなどなど、色んな意見を聞きます。
けれど私が今思っているのは、
人は自分にとって意味のある音を優先的に選んで聴いているので
逆に、自分にとって意味のない音、意味の分からない音のつながりを聴かないのではないかと思うのです。
耳が開くとか閉じるということがあります。
耳が開くのに一番大切なのは、そのことばの音を聞いて
それが意味のない音の羅列ではなく
その音からつながる生き生きとした場面や風景、味や香りなどの体感につながるイメージを持っているか。
意味を持っているかということなのではないかと思っています。
その意味で、自分にとって興味のあるストーリーを日本語で理解して場面を描き、体を動かして場面を体感し、そしてそれを色々な言語でシャドウイングすることが、多言語に開かれた耳と心を育ててくれているのだなと思うのです。
もし、日本語以外に全く耳が慣れていない、開かれていなかったら、それは日本語とそれにつながるイメージでしか、世界を見ない、聞かないということになるでしょう。
心の鎖国ともいえるのではないでしょうか。
翻訳機はとても便利ですが、全ての言語を日本語に変換して聞き、読むことは、日本の価値観、日本の習慣や文化に強く結びついた日本語ですべてを理解することになります。
多様な文化や生活習慣、価値観の違いに心を開いていくには、厚い壁を作ってしまうかもしれないと危惧しています。